デザイン切手で
「20世紀時間旅行」
1901年〜1909年へいこう!
①与謝野晶子「みだれ髮」
1901年に(明治34年)に刊行されて、若者達に大きな支持を得たみたいですね。
当時としては、あまりにもストレートな恋愛表現した女心の詩集として、女性の官能をおおらかに謳う。浪漫派の歌人としてのスタイルを確立した。
鉄幹と結婚して、子供を12人出産しているのに驚きました。
②「電気館」
電気館って何だか分かりますか?
私も「電気館」ってなんだろうって思ってて。
愛しの嫁さんに「電気館」って何だと思う?
って聞いたら「TEPCO」って答えました。
「電気館」だけだと、「TEPCO」って答えたくなりますよね。
「電気館」は現在の「映画館」です。
1903年浅草六区に日本最初の活動写真の常設館として開業。はじめは粗末な建物の見世物小屋で、観客は立ち見の映画館。
③「チンチン電車」
1903年8月、東京馬車鉄道から発展した東京電車鉄道から、品川から新橋で運行を開始。
現在の品川から新橋「約5㎞」山手線なら「7分」
名物となった”チンチン”という特徴の合図からチンチン電車の愛称で親しまれた。
「オッペケペー節」を売り物した川上音二郎は、妻の貞奴と欧米巡業して大成功を収めた。1903年に明治座で「オセロ」、本郷座で「ハムレット」の公演を成功させた。
シェイクスピアって1600年の作品なんですが、「オセロ」「ハムレット」もこの当時も舞台で扱われていて本物の名作って引き継がれていくんですね。
シェイクスピアって「裏切り」や「殺人」を描いたものがあり、
「人殺しいろいろ」
人殺し(1564年)〜いろいろ(1616年)
シェイクスピア生没年。
1908年に帝国女優養成所を開いて、近代劇運動のパイオニア。
女優養成所を開いたのは、100年ちょっと前の時代からなんですね。
先駆者となる先輩方々がいるから現在がある!
⑤⑥「日露戦争」
1904年に、日本がロシアに宣戦を布告。
1905年に、日露講和条約を締結された。
⑧「坊ちゃん」夏目漱石
1905年に処女作「吾輩は猫である」
1906年に「坊ちゃん」
夏目漱石が亡くなったのは1916年。
12月9日で葬儀には多数の人が参列したが、その葬儀の受付をしていたうちの1人は作家はあの
「芥川龍之介」
同じく受付をしていたのが、小説家の久米正雄。哲学者の和辻哲郎。
⑨「ハイカラ」
「ハイカラ」は、たけの高いカラー(high collar)
1905年頃から、世間で広く使われる様になり、西洋風の身なりや生活様式をする様をいう。
「はいからさんが通る」の”はいから”ってここからきてるんですね。
子供の頃見てたので、主題歌が頭をよぎる!
ハイ!ハイ!ハイ!
大正時代を舞台に男女をとりまく人々の恋愛模様を描いたラブコメディって感じです。
じゃじゃ馬の主人公とハンサムな陸軍少尉。
昔のアニメだから知ってる人少ないかな〜。
⑩「両国国技館落成」
1909年に開館。
板垣退助を委員長にした開会式が盛大に行われる。
100円札の人(板垣退助)
「板垣死すとも自由は死せず」は広く知られていますよね。自由民権運動の主導者として知られ、「庶民派」の政治家として国民から圧倒的な支持をされます。
個人的に、板垣退助さんの様な「信念のある政治家」が現在いれば、政治に関心を持つ人達が増えると思います。
”相撲は日本の国技なり”
の言葉から名付けられた。
国技館って名称もまだ100年位なんですね〜。
もっと前から名称もあると思ってましたちょっと意外な気がします。
与謝野晶子さんの詩集も、今の若い女性の心には響かないのかも知れませんが、女性の官能の表現はその当時、かなり画期的だったんでしょうね。
映画館や電車がこの頃からなので、100年ちょいで時代はこれだけ変わっている考えると時代の進歩って凄過ぎます。
与謝野晶子さんや川上音二郎さん、貞奴さん、夏目漱石さん、板垣退助さんが現在の日本を見たら「どう感じるのでしょうか?」
「どんな未来を想像してたんでしょうね」
laugh x laugh でいこう!