「もし生まれ変われるなら、、、。」
私の生い立ちはちょっと複雑で、
「産みの母」と「育ての母」がいます。
「育ての母」である義理の母に
「おかあさん」
って呼んでいたのは小学五年まで。
父親が小学2年で他界してから、義理の母との3年間は、成人するまでに家族として生活してた貴重な時間でした。
ちょっとやんちゃな私がやってしまった事で、何度か謝りに行った事を思い出しました。
数年間でしたが、
心から
「おかあさん」と呼んでいました。
私の場合、そんな「おかあさん」って
呼ぶ事さえも、育ての母が群馬の実家に帰り、
年に一度の父親の命日に、御墓参りで東京へ来る日に会うようになるのも数年間でした。
だんだん疎遠になり、育ての母や弟とも会う事もなくなり、数十年会っていません。
育ての母が再婚したのか?
弟は結婚して子供がいるのか?
今の時代なら、
Facebook等を駆使して調べれば近況がわかるかななんて思ったりもして、調べてみるもわかりませんでした。
私はFacebook等をしているので、名前で検索すれば私の現況は知る事は出来ます。
育ての母や弟の現況を知った所で、何が出来るわけじゃないんだけどね。
「御涙頂戴的」な感動の再会をテレビを昔観たことがありますが、本当にその時、自分はテレビで観たあの再会のように感動出来るんだろうか?っていつも思っていました。
そんな時、お彼岸の御墓参りで
「再会」したのは
「産みの母」でした。
数十年ぶりの感動の再会?
なんだろうけど、もう一人の自分が外から見ているようで、特に感動もなく連絡先を交換して別れました。
ちょうど産みの母と再会したのは、再婚して間もない頃で、再会してからは、出かけた際にお土産を買ってきては渡したりする程度です。
本当の「おかあさん」ではあるけれど
「おかあさん」なんて呼べないし呼びたくない。
そんな気持ちが何処かにあります。
ある時、産みの母よりお金の無心があり
お金を渡すと、2週間で返すが、1ヶ月後になり、
2ヶ月後になり、携帯がなると言い訳ばかりの産みの母に、ちょっとうんざり。
私だって余裕があるわけじゃない。
再婚して共働きだと、余裕があるようにみえるんだろうけれど、優先順位としては、別居の子供達の住む家が最優先に考えています。
金の切れ目が縁の切れ目って言われてますが、
私から折り返しの電話をしないと、あちらからの連絡がないまま、お金も返済される事もなく1年過ぎました。
私の「おかあさん」ってこんな感じです。
「もし生まれ変われるなら、、、。」
生活の中にいる「おかあさん」
叱られたり、褒められたり、料理を教わったり、
干渉されたり、そんな泣いたり、笑ったり、
普通の生活の「おかあさん」と過したい。
私が、別居する決断をした1つの理由。
子供達に同じ思いをさせたくない。
「母親と一緒の生活」
一緒に生活をした記憶がない「おかあさん」
と
数年間でも一緒に生活をした「おかあさん」
やっぱり忘れられないのは
数年間でも一緒に生活した「おかあさん」
「お元気ですか?」
laugh x laugh でいこう!